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恵比須田遺跡

田尻蕪栗にある恵比須田遺跡は、国の重要文化財に指定された「遮光器土偶」が出土した遺跡として全国的に有名です。この土偶は、昭和18年(1943)遺跡の東端で農民が畑を耕している時にほとんど傷のない状態で発見されました。恵比須田遺跡には、縄文時代のはじめの頃から人が住み始めたと思われますが、縄文時代の終わり頃の土器が数多く出土します。さらに、奈良時代や平安時代の須恵器の破片も採集されることから約8,000年以上の昔からずっと長い間人が住み続けていた宮城県内でも珍しい遺跡です。

土偶は、縄文時代の後・晩期に最も発達し,似たような決まった様式で形作られ、かなり芸術性の高いものが見られるようになりました。この土偶は特に目に特徴があり、北方民族のイヌイットが雪中の光除けに着用した「遮光器」によく似ていることから「遮光器土偶」と呼ばれ,東北地方の縄文晩期に作られた土偶の特色となっています。

土偶がなぜ作られたかはよく判りませんが、完全な状態で発見されることは稀です。足や腕などの一部が切断された状態のものが多く見られることから、多産や豊穣の他、病気治癒などの祈願のためにあえて壊されたのではないかとも言われます。現在、土偶の本体は東京国立博物館で展示されており、精巧なレプリカ(模型)が田尻総合支所内等に展示してあります。

また、この遺跡から見つかった縄文時代初期の土器には、貝殻で表面をこすった跡のあるものや草の繊維を混ぜて焼いたものもあります。中期の土器には、竹で模様をつけたり、渦巻き模様や表面を滑らかにしたりするなどの特徴が見られます。

後期になると茶碗型や注ぎ口のある注口型などの特徴が現れ、終期の頃には亀ヶ岡式土器という薄く細かな模様に変わっていき、この頃に遮光器土偶が作られたと思われます。その他、土器の他に石棒、矢じり、石皿、石さじ、石おの、耳飾り、小型の土偶などほかの遺跡では見られないほどたくさんの出土物が見つかっています。

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